この手毬をもった少女、
かなり怖いですよね。
私も初めて観たとき、
鳥肌がザザー、ザザーってなりました。(あれ稲川淳二さん?)
1968年
イタリア、フランス合作の
オムニバスのホラー映画
「世にも怪奇な物語」 に出てくる1シーンです。
この映画は
ロジェ・ヴァディム(代表作 バーバレラ )、ルイ・マル(代表作 地下鉄のザジ)
フェデリコ・フェリーニ(代表作 8 1/2)
という ヨーロッパ映画の有名な巨匠たちが
ミステリー作家
エドガー・アラン・ポーの小説を1話ずつ映画化した作品です。
写真の手毬の少女は
フェリーニが監督した
第3話「悪魔の首飾り」に登場します。
角度を変えた写真もありますが、
全然、可愛らしい少女ですね。
これはまさに、映像の魔術師と呼ばれた
フェリーニのマジックです。
さて本編について説明します
「悪魔の首飾り」は
新作映画を撮るために
ローマにやってきた人気俳優、
トミーダミットの物語。
テレンス・スタンプというイギリスの俳優が演じています。
仕事の報酬の一つとして
フェラーリがもらえるということでローマにやってきたトミー。
彼はインタビューに答えていても、
授賞式に参加していてもいつも
心ここにあらず。
人気俳優という仕事への孤独感と
重圧感。
求めれる自分と理想の自分。
表現者としての苦悩をこの表情からも感じます。
常に理想を追い求めているような、
はたまた何かを諦めてるような。
LSD中毒にアルコール中毒で顔面も蒼白。
ただそんな彼には1人の女神がいます。
それがあの手毬の少女です。
手毬の少女は彼にしかみえないらしく、
ローマについた頃から少女は
トミーの少し先からこちらを誘うように手招きしています。
しまいには報酬のフェラーリを飛ばして
彼にしか見えない少女をどこまでも
追いかけるわけです。
最終的には
工事中の高速道路を飛び越え、
ワイヤーで首を切断し、命を落としてしまいます。
そして道路に落ちた彼の首を拾った少女は嬉しそうに暗闇へと消えています。
そう、少女は女神ではなく、
彼を死へと誘う悪魔なのでした。
なんでしょう。
この話は非常に後味が悪く、
映像の世界観も相まって
実にヨーロッパらしい退廃的な世界を感じます!
ただ、この俳優すなわち、
表現者が何かに取り憑かれるというのは
理想の芸術を追い求めていく
芸術家の姿
そのものだと感じました。
手毬の少女は確かに悪魔ですが、
理想を追い求めるという概念そのものなのではないかと考えています。
自分の芸術を追い求める。
それはすなわち、
見えるか見えないかわからないものを
探し続けるという狂気なのかもしれない。
そんな事を思う今日この頃でした。
皆様は皆様にしか見えない
「手毬の少女」はおりますか?
ちなみに私は球技が大の苦手です。
バスケは
ドリブルが2回以上できた試しはなく、
それでも少年野球をやっておりました。
試合後はいつもトミーダミットのように顔面蒼白状態です。
ありがとうございます。
それではまたお会いしましょう。
0コメント